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少しだけ春へ。自分の趣味について。

今日レッスンの空き時間に世の中のインスタグラムを眺めていたら桜柄のスタバがちらほら。。。
あら?もう桜?といつものスタバへ。
今日からスタートの桜なんとか(笑)フラペチーノFullSizeRender.jpg
口の中がふんわり華やぎました。

今日は月曜日にお借りした永六輔さんのご本を一気読み。
この手の本はあまり読まないのですが、なるほど。。。ということがいろいろ書いてありました。
いいお医者さんは患者さんより先に「痛い、痛い、痛い。」と言って治療してくれる、とか。
わかるな〜と思いました。
ひとの痛み(心の痛みも含め)を先に同調してくれるとこちらの痛みはかなり和らぎますもの。
実践したいものです。
渥美清さんのエピソードも。
彼は旅に出るとご自分の母上に毎日葉書を出すのだそうで、文面は「俺、元気」のみ。
でも先方が一番知りたい情報がそれだけならそれでいいわけです。
「寂しい」とか「会いたい」とか、素直な気持ちをストレートに伝え合うことの単純な効力についてなるほどと思ったのであります。

そういえば、今日お会いした年上の生徒様が「世の中の人々はかなりご自分中心な感覚(習慣)でしか生きていないみたい・・・で驚きます。」という世間話をしてくださり、それまたなるほどなぁ〜と社会勉強の如く世の中の人々の声を聴いている気分になります。
日々、細かいことに気づき語り合える環境はほんとうに恵みと感謝です。

世の中の人々は得に忙しく仕事をしていると、どうしてもその必要な作業、思考にマックスな自己を使い果たしてしまいがちですが、道端の花や吹く風の温度、太陽の日差しへの感謝、すれ違う人々との数秒のご縁に心を傾け立ち止まれる環境や感覚を少しだけ持ち得ているであろう自己を大切にできる今に重ね重ね感謝です。
そもそも幼い頃からそうやって生きてきたのですがね。
癖です。必要以上に感じ、考えることが大好きなのです。
こういうタイプをやっかいと思う方々にはどうかご容赦くださいませ。
不器用な生き方であることは自分自身が重々承知なのですもの(笑)。
恥ずかしながらの話といえば、3歳くらいのときに母が姑であるわたしの祖母に説教をされている横に座り、「大変だな。。。」としみじみ考えた記憶。
幼稚園のときにはお坊さまに率直なおかつ妙な質問をしたことがあるとか。
小学生の時には布団の中に入ると「今夜は何を考えて寝ようかな〜」とワクワク。
哲学的思考は亡き祖父からず〜っと仕込まれた気がします。
それが心地よかった。
変な子供でした。
大人になって一人で地を踏みしめ歩まねばならぬようになってからはたまにその考えすぎが自己の精神バランスを崩しますが、それをプラスにできるならばそれもひとさまのお役に立てるかもと光を胸に置きたいものです。(これ、自分がしんどいときはかなりの強がりです(笑))
昔からよく「考えすぎ」と友たちには笑われたり、理解されなかったり、注意されたりしますが、考えすぎも特技ですから、この際大切にしようと思います。
今更気づいたことではありませんがわたしは考えることが生まれつきの趣味なのでしょう。

今日言葉を交わした年配の方々や手にした本、そして年下の人々との交わり、すべてに感謝を覚えて。

とはいえ、寝不足と疲労で帰宅後着替えとともベッドに一瞬倒れ込んで目をつぶった瞬間の「無」が気持ちいい。。。と感じたことも覚えておこうと思います。

今夜のリー坊IMG_0574.jpg
新聞を敷いて得意げ。
その表情は何を考えているの?と問いかけてみたりしています。

今宵綴ったことは最近家で少しづつ読み進めているお坊さまの本に記されていた禅語「露」について自己に問いかけるひとつの機会でもあったと思います。
なんのしがらみもしきたりも自己に纏わせない状態、なおかつ心地よいと感じる心の庭にひとときでも身を置けるよう生きてゆきたいものです。
今のところ、頭ではあらかた理解しているってだけで、実践はハードル高しといったところです。
ひとは自分が求めているハードルを確実に用意するものだとも思います。

どうか光につつまれた木曜日でありますように[ぴかぴか(新しい)]

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